人をけなすことでしか
自分の存在を感じれない
人はプライドを持って
行動しろという
私の母校でたぶん一番言われた言葉
プライド(誇り)
別に自分が自分自身のことを
信じれる、認められる、という
自信
ならまだいいけど
プライドという言葉は
人と自分を比べて
自分が優位である事からの言い訳
という意味が含まれている
母校が
『自信』ではなく『プライド』を使っていた理由は
まず周囲の目があった。
母校の先生達が言うには
「良質でレベルの高い高校生活を作り上げるために、地域の人の迷惑になるようなことは決してないこと。〇高校の誇りを持って…」
…とこうだ。
プライドの高い人は
自分が不利になることを一番に嫌う
自分を有利な方に向かせるためには
どんな事もやってのける
理屈なんて関係ない
どんな事も、といっても
自分が不利にならないようにするんだから
知れてる
上手いこといいくるめるし
自分が悪いとは思わない
相手が折れたら
それで満足
その後自分が悪いとは思ってなくても
とりあえず謝る
そしたら
ことは大っぴらにならなくてすむ
上手くやる
私も中学のころはずっとプライドが高かった
でも高校でずたずたになったから
今は
プライドが高い人の気持ちも
落ちぶれた人の気持ちも
わかる
自分をプライドの塊にしてしまったら
もう遅い
そこに本当の愛情はない
人は一人では生きてないから
自分がいつも優位にたつことはない
でも、自分の心を優位に思わせることもない
人の価値は
優位か劣位かでは決まらない
人の価値は
自分も、人も
思いやれるところにある
ってなんで私は
こんな話したんだろうね…
…あっそうそう
私、結構
あの高校の人から嫌われてた
それで憂さ晴らし
てきとーに
読んでちょ
うん。
人づてだったけど
ショックだったんだ
それだけの話。